南直哉の名言
南直哉のプロフィール
南直哉(みなみ じきさい/1958年-/男性)は、長野県出身の禅僧(曹洞宗)、住職。早稲田大学第一文学部を卒業後、大手百貨店での勤務を経て1984年に出家。大本山永平寺での修行生活を経た後、福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代に就任。多数の著書も発表している。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp+PHP)
著書
主な著書(共著含む)に 「禅とハードル/サンガ」「『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか/講談社」「〈問い〉の問答 同時代禅僧対談/佼成出版社」「賭ける仏教 出家の本懐を問う6つの対話/春秋社」「日常生活のなかの禅 修行のすすめ/講談社」「覚悟の決め方 僧侶が伝える15の智慧/扶桑社」「なぜこんなに生きにくいのか/講談社インタ-ナショナル」「出家の覚悟 日本を救う仏教からのアプロ-チ/サンガ」「恐山 死者のいる場所/新潮社」「「問い」から始まる仏教 「私」を探る自己との対話/南直哉」「語る禅僧/筑摩書房」「人は死ぬから生きられる 脳科学者と禅僧の問答/新潮社」「自分をみつめる禅問答/角川学芸出版・角川グループパブリッシング」「老師と少年/新潮社」などがある。
南直哉の名言集
人間の体は、力を入れることより、
抜く方がずっとむずかしい。私が思うに、
肉体的に「自然体」でいられるのは、武道や芸事などで高度の身体技法、
すなわち立ち振舞の
「型」を身につけた人のみである。彼らは一度「型」にはまれば、
その「型」を決める骨格を
維持するための筋力しか必要がなくなり、どこに余計な力が残っているのか
すぐに自覚でできる。要するに、力を抜くには
並々ならぬ修練と工夫がいる
ということなのである。
いまどきの人は「休む」と称して
休んでいない。休日に寸暇を惜しんでレジャーに行って
疲れたり、「自分への投資」をしている。彼らが休むのは明日の仕事のためで、
いつまでたっても「○○のため」
から離れられない。
私が推奨する力を抜く方法とは、
時間と人生を自覚的に無駄にせよ、
ということである。一度、「自分」を脱いでみたら
どうかと思うのだ。むろん、「自分」を
脱ぎ捨てたままにはできない。
また着なければ生きられない。しかし、「自分」が脱げるということ、
もう一度着る時には、サイズを調整したり、
着こなしを変えたりできると知ることは、
わるいことではない。
現在は生きづらい時代
といわれるけれど、人間が生きづらくなかった時代など
あっただろうか。
信じるというのは、
本来は裏切られてもかまわない、
というものであるべきです。
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