上杉鷹山の名言
上杉鷹山のプロフィール
上杉鷹山(うえすぎ ようざん/1751年9月9日-1822年4月2日/男性)は、出羽国米沢藩の第9代藩主を務めた江戸時代中期の大名。財政難に陥っていた米沢藩を倹約や民政事業による財政の立て直しを行ったことで知られている人物であり、江戸時代屈指の名君の一人。「鷹山」の名称で有名ではあるものの、これは藩主引退後の出家号であり、諱は勝興→治憲(はるのり)。幼名は松三郎→直松。通称は直丸。また、次期藩主・治広に藩主としての心得「伝国の辞(でんこくのじ)」を残したことでも知られ、同心得は「一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候」「一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候」「一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候」の3条から成り立っている。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)
上杉鷹山の名言集
人間は、いつも張り詰めた
弓のようにしていては続かない。
父母の恩は、
山よりも高く、海よりも深い。この恩徳に報いることは
到底できないが、せめてその万分の一だけでもと、
力の限り努めることを孝行という。
してみせて
言って聞かせて
させてみる
生せは生る 成さねは生らぬ
何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり(訳:やれば出来る。
やらなければ出来ない。どんな事においても、
出来ないというのは、
やろうとしていないに過ぎない)
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