加藤シヅエの名言
加藤シヅエのプロフィール
加藤シヅエ(かとう-/1897年3月2日-2001年12月22日)は、東京出身の婦人解放運動家・政治家・著述家。旧姓は「広田」、本名は「静枝」。父は工学者「廣田 理太郎(ひろた りたろう)」、夫は政治家「加藤 勘十(かとう かんじゅう)」、娘はコーディネーター「加藤タキ」。1948年の優生保護法成立に福田昌子や太田典礼、谷口弥三郎らと共に深く関わったことで知られる人物。貧民街での産児調節運動を啓蒙する「マーガレット・サンガー」の思想に大きな影響を受けている人物であり、渡米中に出会ったサンガーの思想が炭鉱町にも必要であることを痛感し、日本での運動を決意。帰国直後の1922年にサンガーを日本に招待し、講演会などを大々的に行い日本での産児調節運動を開始。1931年に日本産児調節婦人連盟を設立、1934年に産児制限相談所を開設。1946年4月の敗戦後はじめての総選挙(第22回衆議院議員総選挙)で当選(初の女性代議士39名の中の1人)。人工妊娠中絶と強制的不妊手術を合法化する目的で、1947年12月に優生保護法の法案を福田昌子と太田典礼の3人で提出(翌年に成立)。1950年の第2回参議院議員通常選挙に当選、1974年7月の政界引退まで参議院議員を務める。1970年に勲二等宝冠章受章、1988年に国連人口賞受賞、1997年に東京都名誉都民の称号を授与。晩年には「女性のための政治スクール」名誉校長や「家族計画国際協力財団」の会長なども務めていた。(参考文献:ウィキペディア+楽天ブックス)
著書
主な著書・著作・書籍(共著含む)に「産児制限と婦人」「ゆたかな生活を築くために : 受胎調節の実際的方法」「汝が名は母:わが半生の記」「国土自然保護について」「ひとすじの道」「想い出のふる」「ある女性政治家の半生」「愛は時代を越えて」「ふたつの文化のはざまから : 大正デモクラシーを生きた女」「愛・仕事・子育て すべてが生活」「最愛のひと勘十へ:加藤シヅエ日記」「加藤シヅエ百歳:愛と勇気の言葉の記録」「愛する「日本」への遺言」「百歳の幸福論:悔いなく今日を生きるための知恵」「加藤シヅエ:ある女性政治家の半生」「生きる:百歳人加藤シヅエ」「加藤シヅエ104歳の人生:大きな愛と使命に生きて」「加藤シヅエの遺言」「加藤シヅエ凛として生きる:104歳の人生が遺したもの」「産兒制限は是か否か?」などがある。
加藤シヅエの名言集
1日10回感動すること。
それが長生きの秘訣です。
一日に十回は感謝するの。
感謝は感動、健康、幸せの源なのよ。
昼寝は駄目です。
ボケずに
長生きする方法は4つ。一日三合の牛乳を飲むこと、
一日に十分は静想すること、
人と話すこと、
一日十回は感動すること。ただ長く生きてりゃいい
ってものじゃないのね。
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