太宰治の名言
太宰治のプロフィール
太宰治(だざい おさむ/1909年6月19日-1948年6月13日/男性)は、青森県出身の小説家。『走れメロス』『斜陽』『人間失格』などの作者として知られる人物であり、坂口安吾や織田作之助、石川淳などと共に新戯作派・無頼派と称された一人。高等学校時代に芥川龍之介や泉鏡花の作品に傾倒し、同時に左翼運動にも傾倒。1929年に当時流行していたプロレタリア文学の影響を受けた同人誌『細胞文芸』を発行し「辻島衆二」名義での作品を発表(この頃は「小菅銀吉」名義や本名の「津島修治」名義での作品発表も行っている)。1939年から1940年にかけて「富嶽百景」「駆け込み訴へ」「走れメロス」などの優れた短編小説を続けて発表、1947年に長編小説『斜陽』で高い評価を獲得し、流行作家の地位を確立した。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)
作品
主な作品に「人間失格」「走れメロス」「斜陽」「桜桃」「ヴィヨンの妻」「パンドラの匣」「冬の花火」「新釈諸国噺」「お伽草紙」「津軽」「富嶽百景」「新ハムレット」「駆込み訴へ」「女の決闘」「惜別」「右大臣実朝」「老ハイデルベルヒ」などがある。
太宰治の名言集
なぜ生きていなければ
いけないのか、その問に悩んでいるうちは、
私たち、朝の光を見ることが
できませぬ。そうして、
私たちを苦しめているのは、ただ、この問ひとつに
尽きているようでございます。
人間のプライドの
究極の立脚点は、あれにも、これにも、
死ぬほど苦しんだことがあります
と言い切れる自覚ではないか。
生きている事。
ああ、それは、
何というやりきれない息もたえだえの
大事業であろうか。
人間は不幸のどん底に
つき落とされ、
ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を
手さぐりで捜し当てているものだ。
学問とは、
虚栄の別名である。人間が人間でなくなろうとする
努力である。
死と隣合せに
生活している人には、生死の問題よりも、
一輪の花の微笑が身に沁みる。
人間三百六十五日、
何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、
それは仕合せな人間です。
人間は、しばしば
希望にあざむかれるが、しかし、また、
「絶望」という観念にも
同様にあざむかれる事がある。
人間は恋と革命のために
生まれてきたのだ。
人間なんて、
そんなにたくさん、あれもこれも、
できるもんじゃないのだ。しのんで、しのんで、
つつましくやってさえゆけば、
渡る世間に鬼はない。
疑いながら、
ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、
その運命は同じ事です。どっちにしたって
引き返すことは出来ないんだ。
私には、
誇るべき何もない。学問もない。才能もない。
肉体よごれて、
心もまずしい。けれども、苦悩だけは、
その青年たちに、
先生、と言われて、だまってそれを受けていい
くらいの苦悩は、経て来た。たったそれだけ。
藁一すじの自負である。
毎日毎日が、
奇蹟である。いや、生活の、
全部が奇蹟だ。
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