吉川英治の名言
吉川英治のプロフィール
吉川英治(よしかわ えいじ/1892年8月11日-1962年9月7日/男性)は、戦前から戦後にかけて活躍した日本を代表する国民文学作家の一人。司馬遼太郎と並び日本を代表する歴史文学作家として高い人気を誇っている人物であり、様々な職を経て作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家としての地位を確立。1935年から連載を開始した『宮本武蔵』(NHK大河ドラマ・映画化)は幅広い読者層を獲得し、大衆小説の代表的な作品となる。戦後は『新・平家物語』『私本太平記』(どちらもNHK大河ドラマ化)などの大作を執筆した。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)
作品
主な作品に「宮本武蔵」「三国志」「新書太閤記」「新・平家物語」「私本太平記」「鳴門秘帖」「新・水滸伝」「平の将門」「大岡越前」「高山右近」「黒田如水」「上杉謙信」「梅里先生行状記」「源頼朝」「親鸞」「新編忠臣蔵」「あるぷす大将」「燃える富士」「かんかん虫は唄ふ」「檜山兄弟」「貝殻一平」「万花地獄」「ひよどり草紙」「神州天馬侠」「坂東侠客陣」などがある。
吉川英治の名言集
会う人、出会うもの、
すべて我が師なり。
行き詰まりは、
展開の一歩である。
楽しまずして、
何の人生ぞや。
勝つは負ける日の初め、
負けるはやがて勝つ日の初め。
登山の目標は
山頂と決まっている。しかし、人生の面白さは
その山頂にはなく、かえって逆境の
山の中腹にある。
逆境を転じて、
その逆境をさえ、
前進の一歩に加えて行く。
晴れた日は晴れを愛し、
雨の日は雨を愛す。楽しみあるところに楽しみ、
楽しみなきところに楽しむ。
人間とは、
一日中に何百遍も
菩薩となり悪魔となり、
たえまなく変化している。
(もう駄目)
それをふと、
自分の心に出した時が、人生の難関は、
いつもそこが最後となる。
百計も尽きたときに、
苦悩の果てが一計を生む。
人生、いつの場合も同じである。
やはり世間はひろい。
秀でた人物がいないではない。ただ、世の平静なる時は、
いないように見えるだけだ。
あたたかい心で
人のなかに住め。人のあたたかさは、
自分の心があたたかで
いなければ分かる筈もない。
あれになろう、
これになろうと焦るより、富士のように、黙って、
自分を動かないものに作り上げろ。世間に媚びずに
世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値うちは
世の人がきめてくれる。
職業に貴賎はない。
どんな職業に従事していてもその職業に
なり切っている人は美しい。
いくら年をとり、
知識を積んでも、人間には、
人間本来の迷いの火ダネが、白骨になるまでは、
なくならないものらしい。
人と人との応接は、
要するに鏡のようなものである。驕慢は驕慢を映し、
謙遜は謙遜を映す。人の無礼に怒るのは、
自分の反映へ
怒っているようなものといえよう。
生きていること、
それはすでに、
世間の恩であった。
※「地球の名言」では読者の方が読みやすく・わかりやすくするために、一部の名言に当サイト独自の中略(前・後略含む)・翻訳・要約・意訳等を施しています。そのため、他の名言サイト様とは表現が異なる場合がありますのでご了承ください。
スポンサーリンク
関連記事
« アントニオ猪木の名言 / 矢沢永吉の名言 »