フジ子・ヘミングの名言
フジ子・ヘミングのプロフィール
フジ子・ヘミング(1932年12月5日-/女性)は、日本とヨーロッパで活躍する女性ピアニスト。本名はイングリッド・フジコ・フォン・ゲオルギー=ヘミング(Ingrid Fuzjko Von Georgii-Hemming)。日本名は「大月 フジ(おおつき-)」。父親は画家・建築家の「ヨスタ・ゲオルギー・ヘミング(Josta Georgii Hemming)」、母親はピアニストの「大月投網子」、弟は俳優の「大月ウルフ」。16歳の頃に中耳炎の悪化により右耳の聴力を失う。ヨーロッパでのピアニスト時代に左耳の聴力も失ってしまうアクシデントに見舞われ演奏家としてのキャリアを一時中断。耳の治療の傍ら、ピアノ教師をしながらのコンサート活動を行い、左耳の聴力を40%ほど回復することに成功。1995年に日本へ帰国し、コンサート活動を行う。1999年にNHKのドキュメント番組『ETV特集』で「フジコ~あるピアニストの軌跡~」が放映されたことで大きな反響を呼び、後に発売されたデビューCD『奇蹟のカンパネラ』が30万枚を超えるセールスとなり、日本のクラシック界では異例の大ヒットを記録した。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)
フジ子・ヘミングの名言集
間違えたっていいじゃない。
機械じゃないんだから。
どんなに教養があって立派な人でも、
心に傷がない人には魅力がない。
他人の痛みというものがわからないから。
人生に無駄なことなんか、
ひとつもない。生きるってことは、
いろいろ経験すること。その時は、自分とはまったく
関係のないことのようでも、
その経験が大切に思える時がきっとくる。
辛いことがあっても
私は負けなかった。いつかはこの状況から
抜け出せる日が来ると信じていたから。
目の前にある現実だけを見て、
幸福だとか不幸だとか
判断してはいけない。その時は不幸だと思っていたことが、
後で考えてみると、
より大きな幸福のために必要だった
ということがよくあるの。
※「地球の名言」では読者の方が読みやすく・わかりやすくするために、一部の名言に当サイト独自の中略(前・後略含む)・翻訳・要約・意訳等を施しています。そのため、他の名言サイト様とは表現が異なる場合がありますのでご了承ください。
スポンサーリンク
関連記事
« モハメド・アリの名言 / 福沢諭吉の名言 »