能村龍太郎の名言
能村龍太郎のプロフィール
能村龍太郎(のうむら りょうたろう/1922年-2006年/男性)は、大阪府大阪市出身の実業家。東京ドームや埼玉スタジアム2002など大型膜面構造物の屋根を手掛けた老舗メーカー「太陽工業」の創業者。日本万国博覧会(大阪万博)では、世界初の低ライズによる巨大空気膜構造の「アメリカ館」や鞍型形状ドームの富士グループパビリオンなども手掛けた人物。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)
能村龍太郎の名言集
有益な情報を得たければ、
まず自分が相手に情報を与えよ。
発明家の多くが貧乏なのは、
世の中のニーズというものを
考えてないからです。どんなに画期的な良いものでも、
人が求めていないものは
商品としての価値がないのです。
われ四十にして初めて迷い、
五十にして益々迷い、
六十にして迷いを極め、
七十にして迷いを楽しみ、
八十にして迷いを悟り、
九十にして迷いを終わり、
百にして迷わず。
遊び半分で仕事をしている
なんていうと、
社員が怒るかもしれないが、
遊び心でやると非常に能率が上がる。精神的に余裕があるし、
好きで夢中になってやるから、
いいアイデアも湧いてくる。
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