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高橋是清の名言 | 地球の名言

高橋是清の名言

高橋是清のプロフィール

高橋是清

高橋是清(たかはし これきよ/1854年9月19日-1936年2月26日/男性)は、明治~昭和初期に活躍した政治家官僚。そのふくよかな容貌から「ダルマ蔵相」「ダルマさん」と呼ばれ親しまれた政治家であり、第20代内閣総理大臣を務めたが財政家としての業績で著名なため、大蔵大臣として評価されることが多い。幕府御用絵師・川村庄右衛門の子として生まれ、生後まもなく仙台藩の高橋覚治の養子となる。1867年に藩命により勝海舟の息子・小鹿と海外へ留学。帰国後の1873年に文部省に入省。同時に英語教師として大学予備門や進学予備校で教壇に立ち、共立学校(後の開成高校)の初代校長なども務めた。文部省、農商務省の官僚として活躍し、1884年に特許局の初代局長に就任。その後、ペルーでの銀鉱事業を経て日本銀行に入行。日露戦争時には日銀副総裁として手腕を発揮し、1911年に日銀総裁に就任。1913年に大蔵大臣(第1次山本内閣)に就任。1921年にはこれまでの財政政策の手腕が評価され第20代内閣総理大臣に就任。以降も第34代農商務大臣、初代農林大臣兼商工大臣、第28代・第31代・第33代 大蔵大臣など要職を歴任。1936年に二・二六事件によって死去。享年82歳(満81歳)。勲一等瑞宝章、大礼記念章、旭日大綬章、旭日桐花大綬章などを授章。(参考文献・出典:ウィキペディア+Amazon.co.jp書籍紹介情報+月刊致知/致知出版社)

役職

主な役職に大蔵大臣(第16代:1913年-1914年/第21代:1918年-1922年/第28代:1927年/第31代:1931年-1934年/第33代:1934年-1936年)、初代内閣総理大臣(1921年-1922年)、第34代農商務大臣(1924年-1925年)、初代農林大臣兼商工大臣(1925年)、貴族院議員(1905年-1924年)など。

高橋是清の名言集

その職務は運命によって
授かったものと観念し

精神をこめ
誠心誠意をもって

その職務に向かって
奮戦激闘しなければならぬ。

いやいやながら
従事するようでは
到底成功するものではない。

その職務と同化し
一生懸命に真剣になって
奮闘努力するので
(することで)

はじめてそこに
輝ける成功を
望み得るのである。

人間にも
神の心はある。

その心が
人間の中に輝き出す時

人はさながら神となり
地上はこのままに
一つの楽園となる。

一足す一が二
二足す二が四だと
思いこんでいる秀才には

生きた財政は
分からない。

いかなる場合でも
何か食うだけの仕事は
かならず授かるものである。

その授かった仕事が
何であろうと
常にそれに満足して
一生懸命にやるなら
衣食は足りるのだ。

ところが多くの人は
こんな仕事ではだめだとか
あんな仕事がほしい
とかいっているから

いよいよ困るような
破目に落ちてゆくのである。

不平を起こすぐらいなら
サラリーマンたる己れを
廃業して独立するがよい。

独立してやれば
成敗いずれにせよ
何事も自分の力量
一杯であるから
不平も起こらぬだろう。

けれども、この独立が
できないならば
不平は言わないことだ。

人間がこの世に
生を受けた以上

自分のことは
自分で処分し
始末すべきである。

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