伊藤仁斎の名言
伊藤仁斎のプロフィール
伊藤 仁斎(いとう じんさい/1627年8月30日-1705年4月5日/男性)は、江戸時代前期の儒学者、思想家。諱は「維貞→維禎」、通称は「源吉」「源佐」「源七」。「古学先生」の諡(おくりな)でも知られる。若き頃より学問に励み、朱子学に傾倒する。しかし、しだいに観念論が主流であった当時の朱子学に対して、孔子・孟子の教えを正しく伝えていないと批判の立場をとるようになる。やがて日常生活の中で人の道を求めるという実証主義的な「古義学」を確立し、儒学界の一天地を開いた。(参考文献・出典:ウィキペディア+Amazon.co.jp書籍紹介情報+月刊致知/致知出版社)
著作
主な著作(死後に発表された著作集・編集・解説書等)に『論語古義/編:関儀一郎』『孟子古義/編:関儀一郎』『童子問/校注:清水茂』『伊藤仁斎集 日本の思想11/編集・解説:木村英一』『伊藤仁斎 日本の名著13/編集・解説:貝塚茂樹』『伊藤仁斎 伊藤東涯/校注:吉川幸次郎、清水茂』『伊藤仁斎/校注:浅山佳郎、厳明』『仁斎日札/校注:植谷元』『伊藤仁斎 附伊藤東涯/伊東倫厚』『古学先生詩文集/編集・解説:三宅正彦』などがある。
伊藤仁斎の名言集
天地だって
過ちを犯すのだ。
(異常気象や自然災害など)人など過ちを犯して
当然ではないか。
聖人だって人である。<原文>
天地といへども
過ち無きこと能はず。いはんや人をや。
聖人もまた人たるのみ。
思想の道に
終わりなど
存在していない。ゆえに幾らでも
学ぶことがあるのだ。<原文>
蓋し道は窮り無し。
故に学も亦た窮り無し。
自分がいくら
分かっているつもりでも周囲の誰も
分からないようなものは
それは道ではない。自分だけが
実践できても他の者が
実践できないようなものは
道ではない。<原文>
一人之を知りて
十人之を知る能はざる者は
道に非ず。一人之を行ひて
十人之を行ふ能はざる者は
道に非ず。
自分が本当に
人を愛していたら自然と人から
愛が返ってくる。<原文>
我能く人を愛すれば
人も亦た我を愛す。
人間にとって
「仁」ほど大切なものは
ないだろう。では、仁とは一体
なんであろうか。一言で言ってしまえば
つまりは「愛」である。<原文>
仁の徳偽るや大なり。
然れども一言以て
之をおほえば
曰く、愛のみ。
仁徳を備えた者は
その人にどんな良い所が
あるかを見ようとする。反対に仁徳を備えぬ者は
人の欠点のあら探し
ばかりしようとする。<原文>
仁者は常に
人の是を見る。不仁者は常に
人の非を見る。
勇気をもって
前に進め。今日というこの日は
これまでとは違う
新たなる日を望んでいる。<原文>
勇往向前、
一日は一日より
新たならんと欲す。
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