山川宗玄の名言
山川宗玄のプロフィール
山川宗玄(やまかわ そうげん/1949年-/男性)は、京都府出身の僧、正眼寺住職。埼玉大学理工学部を卒業後に禅僧への道に進み、白水敬山老師について得度し、正眼僧堂に入門。1994年に正眼寺住職に就任。正眼短期大学学長も務めた。(参考文献・出典:ウィキペディア+Amazon.co.jp書籍紹介情報+月刊致知/致知出版社)
著書
主な著書に『無門関提唱/春秋社』『生きる/春秋社』『無心の一歩をあゆむ/春秋社』『「無門関」の教え アメリカで禅を説く/淡交社』などがある。
山川宗玄の名言集
修行というのは
特段決まった形が
あるのではなくここで生きていること
生活していること自体が
修行そのものです。
それを自然に
こなせない限りもう一歩踏み込んだ世界は
掴めないでしょうね。それはどの道も
一緒だと思います。
一週間後、一ヶ月後に
どうなっているか
という発想をすること自体が
間違っている。きょう一日を
精いっぱいやっていくことそうして一日一日を
大事に過ごしていけば
必ず積み上がっていく
生きよう生きよう
と肩肘張っている
小さな自分を超えたところに自分が生かされている存在だ
という紛れもない事実があった。
この地上で
形ある命となった時それを使い切るまで
生きていける能力が本当は誰にでも
備えられている。
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