山村暮鳥の名言
山村暮鳥のプロフィール
山村暮鳥(やまむら ぼちょう/1884年1月10日-1924年12月8日/男性)は、明治・大正期に活躍した詩人、児童文学者。本名は「土田 八九十」(つちだ はくじゅう)、旧姓は「志村」。働きながら聖マッテア教会の英語夜学校に通い、1903年に聖三一神学校に入学。在学中に詩や短歌の創作をはじめ、雑誌「白百合」に木暮流星の筆名で短歌を発表するようになる。1909年に昭和女子大学(後の日本女子高等学院)の創設者としても知られる人見東明より「山村暮鳥」(「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味)の筆名をもらう。1913年に萩原朔太郎(詩人)や室生犀星(詩人・小説家)と「にんぎょ詩社」を設立し、翌年に機関誌「卓上噴水」を創刊。また、「新詩研究会」も結成し、機関誌「風景」を発表。同誌には萩原朔太郎や室生犀星のほか、三木露風(詩人、童謡作家)らも参加した。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp+致知)
作品
主な詩集に『三人の処女(1913年)』『聖三稜玻璃(1915年)』『風は草木にささやいた(1918年)』『梢の巣にて(1922年)』『雲(1925年/没後に出版)』など。主な童謡・童話に『童話集(1920年)』『鉄の靴(1922年)』『萬物の世界(1922年)』『よしきり(1925年)』など。その他の作品に『小さな穀倉より(1917年/随筆)』『十字架(1922年/小説)』など。
山村暮鳥の名言集
しつかりしろ
人間の強さにあれ
人間の強さに生きろ
くるしいか
くるしめそれがわれわれを
立派にする
倒れる時がきたらば
ほほえんでたふれろ一切をありのままに
じっと凝視(みつめ)て
大木のやうに倒れろ
息絶えるとも否と言え
頑固であれ
それでこそ人間だ
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