島田洋七の名言
島田洋七のプロフィール
島田洋七(しまだ ようしち/1950年2月10日-)は、広島県広島市出身の漫才師、タレント、作家、講演家。1980年から始まった漫才ブームの火付け役として人気を誇った漫才コンビ「B&B」のメンバーの一人であり、月収1億円という超人気芸人の時代を経験するものの、その後、人気は急降下。1983年のB&Bを解散後は、新コンビ結成(「スティング/国分健二とのコンビ」や「洋・寛/間寛平とのコンビ」)、欽ちゃんファミリー入り、事業展開(広島風お好み焼き店)、参議院選挙に出馬(1995年)など様々なアクションを起こす。一時は引退を考えていたものの、ビートたけしに相談し引退を思いとどまり、吉本に復帰。1987年に自費出版し、さほど評判になることもなく廃刊となっていた「振り向けば哀しくもなく」を、2002年に「佐賀のがばいばあちゃん」と改題し二度目の自費出版。徳間書店から三度目の出版で文庫化となったときに口コミで評判が広がり、2003年に「徹子の部屋」で祖母の話をしたところ、大きな反響を呼びベストセラーとなる。以降はテレビ出演の機会が増えた他、講演依頼が殺到し人気講演家としても活躍している。ちなみに下の名前の読みは「ようひち」という表記も多く見られるが、本人にいわく「どっちでもいいが分かりやすい『ようしち』が良い」との事。(参考文献:ウィキペディア+楽天ブックス)
著書
主な著書(共著含む)に「佐賀のがばいばあちゃん」「「人生に悔いなし」を実現する63章 人生に夢と希望の花が咲く!」「転起力。 人間「島田洋七」から何を学ぶのか」「死にたくなったら、これを読め!」「絆 佐賀のがばいばあちゃんと宮崎のてげなかあちゃん(東国原英夫との共著)」「がばいばあちゃんとがばい先生」「がばいばあちゃんの勇気がわく50の言葉」「がばいばあちゃん幸せの教え」「がばいばあちゃんお寺へ行こう」「がばい田舎暮らし ばあちゃんが教えてくれた力を抜いて生きるヒント」「がばいばあちゃんの幸せのトランク」「がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい!」「がばいばあちゃんの手紙」「文句あっか!! オレのトンデモお笑い人生」「がばいばあちゃん佐賀から広島へめざせ甲子園」「佐賀のがばいばあちゃんのレシピ 島田洋七とおさのばあちゃん」など多数。
島田洋七の名言集
見栄を張るな、
誰も見てない。
コツコツやっても
と思う前に、
コツコツやれ。コツコツの後に
成功がある。
売れる、売れないには、
運もある。でも、努力しないで
売れた人はいない。
学校には、
学校の教科書がある。社会にはもっと大きくて
もっと分厚い、
もっと大事な教科書がある。
人にも
金利ってつくもんやで。必死でやって
ふっと10年たったときに、
それはわかる。1日や2日じゃ
金利はわからんよ。だから、
1日8時間勤務やったら、あと2時間、
人の見えんところで
一生懸命やってごらん。それをやらんと、
焼き鳥屋でぼやくのは
もったいない。
人間、前を向くように
できてるもんや。だって、後ろ向きには
歩きにくいもの。前向きに生きるしか
ないやん(笑)。
「やりたい仕事があらへん」
なんてグチるんやなしに
まずは働いてみたらええ。働けば、米、味噌、醤油、
友達、信頼がついてくる。
苦労は
幸せになるための
準備運動。
人間関係に悩んで
落ち込んでいる人も
いますよね。でも、思うんだけど
全員に気に入られるなんて
無理だよ。一人ひとりみんな
性格バラバラなんやから。
色んな人がいる。
色んな考えがある。それを認めて
その上で関係を築いていく。
そのことが大切。
人に迷惑かけない限り、
人の目を気にする必要もない。前を向いて、
わが人生を生きればええ。
※「地球の名言」では読者の方が読みやすく・わかりやすくするために、一部の名言に当サイト独自の中略(前・後略含む)・翻訳・要約・意訳等を施しています。そのため、他の名言サイト様とは表現が異なる場合がありますのでご了承ください。
スポンサーリンク
関連記事
« 坂戸健司の名言 / コンシェルジュの名言 一覧 »