宮城まり子の名言
宮城まり子のプロフィール
宮城まり子(みやぎ まりこ/1927年3月21日-/女性)は、東京府出身の歌手、女優、映画監督、福祉事業家。本名は「本目 眞理子」(ほんめ まりこ)。幼くして母と死別し、父が事業で失敗したこともあり、小学校卒業と同時に兄と共に吉本興業に入る。15歳で初舞台を踏み、1950年に「なやましブギ」で歌手デビュー。1953年に『毒消しゃいらんかね』が流行し歌手として広く知られるようになる。その後も『ガード下の靴みがき』『納豆うりの唄』『てんてん娘』『夕刊小僧』などのヒット曲を発表。1958年頃から女優業にも進出し、1958年に『12月のあいつ』で芸術祭賞、1959年に『まり子自叙伝』でテアトロン賞を受賞。1968年に社会福祉施設「ねむの木学園」を設立し、福祉事業活動も行うようになる。1979年に総理大臣表彰、2012年に瑞宝小綬章を受賞。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp+PHP)
著書
主な著書(共著含む)に「またあしたから」「淳之介さんのこと」「愛の風景 ねむの木学園」「やさしくね やさしいことはつよいのよ」「約束」「神様にえらばれた子どもたち 小さなねむの木」「なにかが生まれる日 ねむの木とまり子」「戦仕度の日々 ねむの木の子どもたちと」「時々の初心 ねむの木学園の40年」「おかあさんへ」「ねむの木の子どもたち」などがある。
宮城まり子の名言集
やさしくね やさしくね
やさしいことはつよいのよ(ねむの木学園に貼ってある言葉)
左手が不自由な子がいます。
右手はちゃんと動くけど、
左手がうまく動きません。私は言います。
「○○ちゃんの右手は、
お兄さんの手なのよ。」「左手は弟の手。
お兄さんは強いから、
いつも弟を守ってあげなくちゃ
いけないのよ。」その子はいつも自分の右手で、
左の手を庇うように
やさしく握っています。
子ども同士の小さな喧嘩。
私は無理に止めさせたりはしません。二人の間に入って言います。
「さあて、弱いほうはどっちかな。
弱いほうの味方をお母さんはするぞ」この一言で、
喧嘩はすぐに止まります。
人は強さもやさしさも
持っています。互いに頼り合ったり、
助け合ったりしながら生きていく。いつも強い人間なんていない。
ずっと弱い人間なんていない。自分が強いときには、
弱い人を助けてあげることです。
強さの影にやさしさがうずもれて、
自分より弱い人間を
助けようとしなかったら、次は自分よりも強い人間に
やられることになります。そんな社会に幸福の花は
咲かないでしょう。
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